土岐 頼忠(とき よりただ)は、戦国時代の武将。紀州土岐氏頼忠流の祖である。異伝名に頼宗・頼尚、異伝号に休庵・久庵・道庵・伏庵など。
生涯
天文12年(1543年)、土岐頼芸の四男として誕生。斎藤道三による土岐氏美濃追放の後、豊臣秀吉の高家衆となる。美濃追放の時に生存していた 頼芸の男子は三名(頼次・頼忠・頼元)であった。 晩年、泉州堺に隠居。道号、宗庵。慶長7年(1602年)12月5日、卒去。
系譜
- 父:土岐頼芸(1502-1582)
- 母:六角定頼女
- 室:不明
- 子:一圭(?-1658)、満蔵(?-1615)
参考文献
- 『宗秀本土岐家系譜』、文化八(1811)年、個人蔵
- 『宗見本土岐家系譜』、明治期、個人蔵
- 『美濃明細記』、一信社、1969年
- 『土岐累代記』、『続群書類従』21下 巻615 続合戦部45
- 『土岐斎藤軍記』、『続群書類従』21下 巻616 続合戦部46
- 『寛政重修諸家譜』巻283 清和源氏頼光流 頼芸
- 『断家譜』、続群書類従完成会、1968年
- 『系図纂要』清和源氏(6)名著出版、1994年
- 『史料稿本』、東京大学史料編纂所
脚注
注釈
出典



