ギャラントブルーム (Gallant Bloom) は、アメリカ合衆国で生産・調教されたサラブレッドの競走馬および繁殖牝馬。ギャラントマンの代表産駒で、1969年の牝馬路線を無敗で駆け抜ける活躍をした。20世紀のアメリカ名馬100選では第79位に選ばれている。
経歴
2歳時(1968年)
1968年6月18日にデビュー。この未勝利戦を9馬身差で圧勝すると、続くナショナリオンステークスも快勝。スピードの片鱗を見せるものの、3戦目から5戦目は何れも大差負けで3連敗と、当初はムラが激しい成績であった。
6戦目の一般戦で最大のライバルとなるシュヴィーに3馬身差で快勝する。この辺りから競馬を覚え始め、続くメイトロンステークスでは9馬身差の圧勝を遂げた。
初の1マイル戦となった、フリゼットステークスではシュヴィーと再戦するが、ゴール寸前で差されてクビ差の2着に惜敗する。この敗戦を受け、調教師のハーシュは今まで以上に厳しい調教をギャラントブルームに課す。これによく応えたギャラントブルームは、2歳戦ラストとなったガーデニアステークスでシュヴィーを破り、最優秀2歳牝馬に選出された。
3歳時(1969年)
5月のリバティーハンデキャップから始動し、2歳時からの連勝を続けていたギャラントブルーム。一方シュヴィーも絶好調で、2頭目のニューヨーク牝馬三冠馬に輝いていた。再戦機運が高まる中、ギャラントブルームは、モンマスオークスではニューヨーク牝馬三冠ですべて2着したヘイルトゥーパッツィーに12馬身差の圧勝を遂げた。
シュヴィーとの再戦となった、デラウェアオークスでは繰り上がりながらも1着となり、最後の対戦となった、9月のガゼルステークスは2番人気を覆し、シュヴィーを6馬身1/2差に圧倒した。
快進撃は更に続き、10月のマッチメイカーステークスでは、初の古馬戦、9.5ハロンの距離を克服し、名牝ゲイムリーに7馬体差の圧勝。3歳戦ラストとなった、スピンスターステークスは馬券発売のないエキシビジョンレースとなりここも快勝。これらの活躍が評価され、牝馬三冠馬のシュヴィーを抑えて、この年の最優秀3歳牝馬に選出された。
4歳時(1970年)〜引退
前年に亡くなった調教師マックス・ハーシュの息子、バディ・ハーシュの元、西海岸に遠征したギャラントブルームはサンタマリアハンデキャップ、サンマルガリータ招待ハンデキャップに勝利し、2歳時からの連勝を12まで伸ばしていた。だが、東に戻っての初戦、ナッソーカウンティハンデキャップで、後にラフィアンの父となるレヴューワーに敗れてついに連勝はストップしてしまう。更にこのレースで球節を痛めてしまい、次走のサバーバンハンデキャップ7着を最後に引退した。
引退後
繁殖入りし、6頭の産駒を残している。キング牧場で余生を送っていたが、1991年6月に死亡した。
年度別競走成績
- 1968年(2歳) 10戦6勝
- ナショナルスタリオンステークス、メイトロンステークス、ガーデニアステークス
- 1969年(3歳) 8戦8勝
- リバティーベルハンデキャップ、ポストデッブステークス、モンマスオークス、デラウェアオークス、ガゼルステークス、マッチメイカーステークス、スピンスターステークス
- 1970年(4歳) 4戦2勝
- サンタマリアハンデキャップ、サンマルガリータ招待ハンデキャップ
年度代表馬
- 1968年 - 最優秀2歳牝馬
- 1969年 - 最優秀3歳牝馬、最優秀古牝馬
表彰
- 1977年 - アメリカ競馬名誉の殿堂博物館に殿堂馬として選定される。
- 1999年 - ブラッド・ホース誌の選ぶ20世紀のアメリカ名馬100選において、第79位に選ばれる。
血統表
外部リンク
- 競走馬成績と情報 JBISサーチ
![ブルーム [Broome] | オーストラリア観光](https://d340eiag32bpum.cloudfront.net/img/post/spot/385/38476-rcpd7ybTmkx65wEDw70t_lrg_re.jpg)



