李 範(り はん、生年不詳 - 726年)は、唐の皇族。岐王。恵文太子。睿宗の四男。もとの名は隆範。
経歴
睿宗と崔孺人のあいだの子として生まれた。はじめ鄭王に封じられた。垂拱3年(687年)、衛王に改封された。長寿2年(693年)、巴陵郡王に徙封され、尚食奉御に任じられた。神龍元年(705年)、太府寺少卿に転じた。景龍2年(708年)、隴州別駕を兼ね、銀青光禄大夫の位を加えられた。景雲元年(710年)6月、睿宗が重祚すると、隆範は岐王に進封され、太常寺卿に任じられ、左羽林大将軍を兼ねた。のちに玄宗の名と連なるのを避けるため、隆範は範と改名した。先天2年(713年)、李範は玄宗に従って竇懐貞・蕭至忠らを討った。開元初年、太子少師に任じられた。太子少師のまま、絳州刺史・鄭州刺史・岐州刺史を歴任した。開元8年(720年)、太子太傅に転じた。
李範は学問を好み、書を得意とした。文章の士を愛好して、貴賤なく礼遇した。閻朝隠・劉庭琦・張諤・鄭繇らと詩を唱和し、また書画の古跡を多く蒐集した。開元14年(726年)4月丁卯、死去した。恵文太子と追贈された。橋陵に陪葬された。
子女
- 李瑾(河東郡王、太僕寺卿)
- 李玠(河西郡王)
- 李珍(養子、薛王李業の実子、略陽郡公、宗正寺卿、嗣岐王)
脚注
伝記資料
- 『旧唐書』巻95 列伝第45
- 『新唐書』巻81 列伝第6
参考文献
- 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。
- 『新唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00320-6。




