蔦 行雄(つた ゆきお、1938年7月5日 - 2007年7月6日)は、兵庫県出身のプロ野球選手(投手)。
来歴・人物
洲本高校では、エースとして1955年秋季近畿大会県予選準決勝に進むが、渡海昇二らのいた芦屋高に9回裏サヨナラ負け。1956年夏の甲子園県予選では決勝に進出。県尼崎高の今津光男と投げ合うが、9回裏またも1-2でサヨナラ負けを喫し、甲子園出場を逸する。高校同期に遊撃手の鎌田実がいる。
1957年に近鉄パールスへ入団。1959年にはチーム最多の50試合に登板、先発陣の一角としても起用された。翌1960年はミケンズに次ぐ23試合に先発し、7勝を記録した。1961年には開幕投手を経験。1963年に広島カープに移籍し、同年限りで引退。引退後は報知新聞社に入社し記者として取材をしていた。2007年7月6日に胃癌のため死去。享年69。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
背番号
- 36 (1957年 - 1961年)
- 21 (1962年)
- 15 (1963年)
関連項目
- 兵庫県出身の人物一覧
- 大阪近鉄バファローズの選手一覧
- 広島東洋カープの選手一覧




