源 兼昌(みなもと の かねまさ)は、平安時代後期の貴族・歌人。宇多源氏、美濃介・源俊輔の子。官位は従五位下・皇后宮少進。
経歴
官位には恵まれず従五位下・皇后宮少進に至るが、その後出家。没年については不詳であるが大治3年(1128年)頃には生存していたようである。康和2年(1100年)の国信卿家歌合以下、永久3年(1115年)、元永元年(1118年)、同2年(1119年)の内大臣忠通家歌合などに出詠しており、堀河院歌壇の下部集団である忠通家歌壇で活躍した。永久4年(1116年)の「堀河次郎百首」の作者の一人。
『金葉和歌集』『詞花和歌集』『千載和歌集』『新勅撰和歌集』『新千載和歌集』の勅撰和歌集に和歌作品が計7首入集している。家集は伝わらない。
- 小倉百人一首
- 淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守(「金葉和歌集」冬288)
系譜
- 父:源俊輔
- 母:不詳
- 妻:不詳
- 男子:昌快
- 女子:前斎院尾張
脚注
関連項目
- 関守稲荷神社
- 淡島千景
- 兼昌の詠んだ句が芸名の由来となっている。




