横川 泉(よこかわ いずみ、1963年2月25日 - )とは、日本の元サッカー選手。選手時代のポジションはGK。高校選抜、ユース代表、全日本B代表、日本代表候補の経歴がある。

人物

身体能力に恵まれたゴールキーパー で、フジタ工業での日本サッカーリーグ(112試合1部通算84試合/2部28試合)の経験を買われてJリーグ開幕を控えた1992年に横浜マリノスへ移籍した。

学生時代

サッカーの盛んな山梨県韮崎市で生まれる。実家は畳屋を営み、三人兄弟の末っ子として育つ。小学校4年時に韮崎サッカースポーツ少年団が開団し、そこに入団。GKとしての基礎を学ぶ。

中学は韮崎西中学に進学、3年時に山梨中学総体で優勝。高校は名門の山梨県立韮崎高等学校へ進学し、1年次よりレギュラーとして活躍。高1の時は関東大会、インターハイ、高校選手権と全国大会に出場する。高2の時は、全国高校サッカー選手権で決勝まで進出、帝京高校に4-0で敗れ準優勝となる。それと同時に大会優秀選手に選ばれる。高3では、インターハイでベスト8、全国高校サッカー選手権では全国3位となる。この時に大会1か月前に右足の腓骨骨折のアクシデントにみまわれるが、それを押しての活躍で高評価を受ける。この大会で2年連続の大会優秀選手と高校選抜に選出され、オランダ・ドイツ遠征に参加する。

大学は明治大学に進学。高校時代の活躍が評価され、1年次からレギュラーとして活躍する。また、大学1年時に日本ユース代表に選ばれ、リエカ国際ユース大会に参加するが予選敗退。4年時には、関東大学サッカー2部リーグで優勝。この時にゲームキャプテンを務めるなど、チームの大黒柱として活躍した。また1部リーグの日大との入れ替え戦に出場し、4-1で勝利してチームの1部復帰の原動力となる。この時に関東大学サッカーリーグ2部ベストイレブンと4年間連続出場賞に輝く。

日本リーグ・Jリーグ時代

1985年、明治大学を卒業し日本サッカーリーグ1部のフジタ工業に加入。 1年目からレギュラーに抜擢される。その年の第65回天皇杯では決勝に進出、日産と対戦して2-0で敗れ準優勝となる。2年目のシーズンに、ソウルオリンピック出場を目指す日本代表候補に選出される。また、日本選抜に選ばれ、南米遠征とサンパウロ州選抜に参加。

1988年、JSLオールスターに選出される。また第68回天皇杯で決勝まで進み、再び日産と対戦し3-1で敗れ準優勝となる。

1990年、フジタは日本リーグ2部に降格となる。 1990-91シーズンでは日本リーグ2部で30試合中28試合に出場するが1部復帰は果たせなかった。

翌シーズンは古島清人と小島伸幸の台頭で出場機会を得られず、横浜マリノスに移籍する。横浜には3シーズン在籍し、テヘランでの第3回アジアカップウィナーズカップ選手権の決勝第2戦に出場しピルズィ(イラン)に1-0での勝利に貢献するなどした。

1994年に現役を引退する。

所属クラブ

  • 1978年 - 1980年 韮崎高校
  • 1981年 - 1984年 明治大学
  • 1985年 - 1992年 フジタ工業/フジタサッカークラブ
  • 1992年 - 1994年 横浜マリノス

個人タイトル

  • 1979年 全国高校サッカー選手権 優秀選手
  • 1980年 山梨県スポーツ優秀選手賞
  • 1980年 全国高校サッカー選手権 優秀選手(2回目)
  • 1984年 関東大学サッカー2部ベストイレブン/4年間連続出場賞

個人成績

  • JSLオールスターサッカー 1回出場(1988年)

各シーズンの所属クラブ/背番号/出場・得点記録の出典 1991年の天皇杯予選の記録は不明。

出典

参考文献

  • https://www.asahi-net.or.jp/~dn3k-iszk/soccer/h-school/58th/yusyu.html

関連項目

  • 横浜F・マリノスの選手一覧

外部リンク

  • 横川泉 - WorldFootball.net (英語)
  • 横川泉 - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
  • 横川泉 - J.League Data Siteによる選手データ



『日本泉』 神戸角打ち学会(至福の立ち呑み) Bloguru

ファッションチェック|木曜ドラマ『スカイキャッスル』|テレビ朝日

「泉川」の名前書き方 | かっこいい泉川 【習字】

企業情報|有限会社泉川製作所

楽天4巡目・横川 Images